島暮らしで気付かされたこと
私は2015年夏に”地域おこし協力隊”の一員として、夫と連れ立ってこの島にやってきました。
その活動を通じて学んだ島の歴史や文化、経験したたくさんの出会い。
そこから感じたのは「この島をもっと知りたい」「もっとたくさんの人に知ってもらいたい」ということ。
同時に、島がいま抱える課題も見えてきました。
それは、伝統産業の担い手不足と、高齢化による耕作放棄地の増加でした。
私にできることを考えて取り組んだのは《五島うどん》づくり。
つまり、島名産の塩と椿油を使った手延麺の伝統的な手作りの技を受け継ぐこと。
そして、そのために必要な小麦をこの上五島の地で育てることでした。
初代花野果とのめぐりあわせ
地域のみなさんの手や知恵を借りながら、耕作放棄地を開墾し、小麦の成長を見つめる日々。
私の頭をよぎったのは、その小麦でできた粉を使った加工品への興味でした。
最初に“花野果”の名前を知ったのは、そんなときです。
その看板を掲げていたのは、山添さんと海辺さんという笑顔の素敵なお二人。
干し芋や冬限定のかんころ餅、昔ながらの郷土菓子などを地域の方と手作りし、地元のスーパーや直売所で販売していました。
2017年1月、初めて花野果を訪れ、小麦粉の加工について相談しました。
その際「ここの後を継いで、かんころ餅も作ってくれんかな?」と声をかけられました。
お二人から聞いたのは、年齢や家庭の事情で花野果の活動継続が難しくなっているという悩み。
そして、かんころ餅の加工やまんじゅうの注文があり、地域のためにも生産を続けたいという切実な思いでした。
現代表・岡本との出会い
とはいえ、私一人では花野果を継ぐことは容易ではなく、同志を探す必要がありました。
そんななかで迎えた1月下旬、初めての麦踏み大会を開催しました。
「島民の方々に種まきや麦踏みなどの作業を体験してもらえれば」とSNSやブログを通じ協力を呼びかけ、駆けつけてくれた人たち。
そのうちの一人が、移住者の先輩であり、いまの花野果代表でもある岡本でした。
彼女は農家として、収穫されずに落ちていく甘夏や梅などを使って何かしたい、と話してくれました。
花野果の将来を相談したところ、彼女の反応は私以上に前向きで、花野果の可能性と引き継ぐ意義について熱く語ってくれました。
特にかんころ餅に注目する一方、原料の“かんころ”やさつまいもそのものが減産傾向にあることを認識していたのです。
「このままでは、島の大切な文化のひとつがなくなるのでは……」という危機感を抱いていた彼女。
花野果の後継ぎの話は、ちょっとした運命とも言えるものでした。
二代目花野果、出港!
私たちは、花野果の可能性について何度も話し合い、実際に花野果の仕事を手伝ったりしました。
イベントに出店して商品や試作品への反応を伺ううち、私たちの活動を応援してくださる方も少しずつ増えていきました。
「もっとこうした方がいい」「こんなこともできるはず」「次はこんなこともやってみよう」
そうやって、島の素材を活かして試行錯誤を重ねる作業はとても楽しく、やりがいと手応えがありました。
そして2017年の夏、私たちは花野果を受け継ぎ、かんころ餅をはじめとした島の食文化を未来につなげていく決意を固めました。
島外で生まれ育った私たち二人が舵を取り、二代目花野果はようやくと船出したばかり。
とはいえ、先代のお二人と島のみなさんのお力添えもあり、前途は洋々です。
こうして自分たちの手で情報発信ができるというのも、新しい世代だからこその強みといえます。
古くからの伝統に新しい風を吹き込みながら、私たちは漕ぎ進んでいきます。
2018年4月
基本情報
名称
五島列島の小さな菓子工房 花野果(ハナヤカ)
代表者
岡本 幸代
所在地
〒857-4513 長崎県南松浦郡新上五島町丸尾郷968-6
電話番号
090-4788-6565
事業内容
食品の製造・加工および販売